芸術の日本

selavy2008-07-19

表慶館ではフランスの陶器の皿(テーブル・ウェア)が展示されており、どれも「北斎漫画」や広重「魚づくし」などから図案が写されたもの。欧州における日本への憧れ・日本ブーム(いわゆるジャポニズム)の好例だろう。(ジャポニズムの根拠ともなった雑誌のタイトルも「芸術の日本」だ)。何といっても浮世絵の色彩と平面性や、北斎暁斎の圧倒的なデッサン力には驚いたことだろう。実際に、モネやゴッホには北斎、広重を写した作品もある。
当時は「日本」といえば欧米人がまず思い浮かべるのは、こうした「浮世絵の国」「未開なのに優れた芸術・工芸を生み出す不思議な国」「風光明媚な国」「卑屈なくらい純朴な国民性」というところだったのかもしれないが、今の日本は海外から見ると一体どういうイメージなのだろう? サブカルチャーの国? ハイテクの国? エコ先進国? 天下り天国? 談合王国? それにしても、これから人口が減る一方だというのに、どうして高速道路やダム、空港ばかり造らなければならないのだろう? 有明海を堤防で閉め切ったり、高尾山や平城京に高速道路を通したりして、一体どうするのか。特別会計など全廃するべきだろう。
展示されていた皿に話を戻すと、どれも下絵がいいのはもちろんだが、図柄の発色といい余白といい、素晴らしかった。よくぞここまで精密に写し、工業的に量産したものだと思う。だが一方、表面が欠け易そうだし、かなり重そうにも見える。「実際に食事に用いられたのだろうか?」と多少疑問にも思えてきた。ただ、会場内に、テーブルにセッティングされた状態で並べられた展示もあったので、確かに実用に供されたものらしい。こんなセットでディナーを頂くとなると、食の細い私としては(本当か?)、きっと料理よりは皿の方に眼が行ってしまうことだろう。
展示の後半には河鍋暁斎の「暁斎楽図」から写された皿も展示されていた。こちらは別の工房の作で、淡い色彩が美しい。暁斎が「ピーターラビット」の下図まで描いていたとは知らなかった(笑)。こちらの展示を見終った時には、すでに2時近くになっていた。この後、外でお茶にするという4人の美女と表慶館前でお別れし、後ろ髪引かれる思いで本館の常設へ。
六波羅密寺の尊像の数々が展示されていた(有名な「空也上人像」は来ていなかったが)。運慶・湛慶親子を写した肖像彫刻を見るのは初めてだ。こういう顔立ち・姿だったのか。運慶作「大日如来坐像」も二体並べて展示されていた。もちろん、一体は先日見たのと同じ像のはずだ。が、照明の関係だろうか、金箔の輝きが失われ、表情もごくありふれた仏像で、先日見たのとはまったく別の像に見えてしまうのはどうしたことだろう。視線の角度のためか、はたまたこちらの体調のためだろうか・・・。
その奥は日本の陶磁器のコーナーとなり、古伊万里からの流れがコンパクトに辿れる。ここにも仁清の壷が一点展示されていた。これを見ているうち、もう一度「対決」展を見たくなり、途中から平成館に向かう。今度は後半から回り、最後にもう一度、宗達「狗子図」を見て会場を後にした。すでに3時半を回っていた。
御茶ノ水から神保町まで歩き、まずは東京堂(に移った)地方小出版コーナーで、注文していた本を受け取る。その後、某T書店に回り、店主と先日の明治古典会の後処理について話す。低調な市場の状況、早稲田の某書店がまるごと売りに出ている話など、暗い話題が続く。夏休みの北海道(列車)旅行や、知り合いがblogに書いていた「ムーンライト長良」大垣行きのことに話を換えると、さらには藤沢駅近くで少年時代に一日中眺めたという数々の列車や、藤沢駅近くの古本屋などに話が広がった。5時を過ぎたので、最後に巨人の上原の話題を持ち出して切り上げ、店を後にする。
一日中立ち通して疲れきってしまい、本日の〆に決めていた某M翁の蕎麦も、食べる食欲・気力が沸かない。そのまま足を引きずってお茶ノ水駅に向かい、JRで帰宅。家に帰ってとりあえず風呂に入り、缶ビールを飲んだら眠くなり、3時間ほど寝込んでしまった。風邪を引かなくてよかったが、変な疲れ方だ。(昼食に当たったのだろうか? お腹の具合は別に悪くはない。これはいよいよ再発か??)