葵上

selavy2008-08-11

8月9日(土)。知人とよこすか芸術劇場の蝋燭能公演を観る。「船弁慶」「紅葉狩」「一角仙人」と、毎年恒例となっている。四回目の今年の番組は、源氏物語一千年にちなみ、能「葵上」、仕舞「夕顔」、同「須磨源氏」ほか。狂言にも源氏物語に関連する演目があれば当然そうなったのだろうが、不思議なことに(?)一番も無いそうで、代わりに夏らしく「蚊相撲」だった(シテは野村萬斎)。
例年だと冒頭に鈴木佐太郎師による素謡「神歌」が朗誦されるのだが、今年は体調が十分でないそうで、急遽、座長の観世喜之師が代役を務められた。鈴木師は九〇歳を超えておられるはずだ。ご健勝をお祈りしたい。
この蝋燭能で一番の見ものは、オペラ劇場の舞台構成と蝋燭の照明を最大限に活用した、観世喜正による演出だと思うが、今年の「葵上」も素晴らしかった。牛車と侍女とを舞台に登場させるという、葵上と六条御息所との車争いのエピソードが視覚化された古様で演じられ、しかも、橋掛りからではなく舞台正面奥の幕の間から車を出し、続いて観世喜正自ら演じるシテ(六条御息所の生霊)と侍女とが静かに歩み出てくるという、意表をついた登場の仕方で上演されたのだ。
このため、あたかも夢と現実との間から生霊が出現してくるという印象が強まったばかりでなく、重くなりがちな前半(六条御息所の生霊が葵上に対する怨念を語る場面)にも大きな変化が与えられ、わくわくしながら観ることができた。
横川の小聖(祈祷師)と再登場した生霊とが争う後半の場面では舞台後方の幕も上げられ、さらに奥行きのある夢幻的な空間となった。後半にこの幕が上げられるのも例年のとおりだが、今年は特に効果的だった。総じて前半・後半とも考え抜かれた、巧みな演出だったと思う。
終演後、知人と近くの某中華料理屋に入り、餃子を酒肴にビールを飲みながら、互いに感想を述べ合う。土地柄、外人客が目立つ。夜、帰宅。