平塚の一日

selavy2008-11-05

11月3日(月)、昼前に出掛けて速水御舟展が開催されている平塚へ。ちょうど昼頃に平塚に到着したので、まずはインターネットで目星をつけていた鰻屋で腹ごしらえ。
時間つなぎと思い、ビールと肝焼きを注文する。(ビールは大嫌いな「何とかドライ」という銘柄しか置いていなかったので、ノンアルコールのビール。)肝焼きも比較的早く出てきたのはよいが、一口食べると冷たかった。店員(アルバイトの男の子?)に文句を言うと、愛想よく「作り直してきます」といって下げ、しばらくして替わりの肝焼きを持ってきたが、今度は周りが黒々と焦げている。ほとほと嫌気が差してきたが、いまさらキャンセルもできない。仕方がないので、鰻重を待つ。
やがて「お待ちどうさま」と運ばれてきたが、案の定、一口食べてがっかり。ご飯が少し詰め込まれ過ぎて、ふっくらした感じがなく、押し寿司にも使えそうな塩梅。たぶんもう行くことはないだろう。


気を取り直して、御舟展へ。山種美術館所蔵の有名な作品(重要美術品に指定された「炎舞」「名樹散椿」)は出品されていなかったが、10代の頃から早すぎた晩年まで、100点にも及ぶ作品・下絵などが展示されており、中には新発見の作品や何十年ぶりかで出現した作品なども含まれている。この画家の独特の秩序を持った画面に構成する絵心(?)や細密描写の凄さを堪能した。
特に「京の舞妓」(上図)は畳の目、着物、舞妓さんの瞳に映った室内の情景に至るまで、細密な描写に驚嘆! 院展に出品されたこの作品を見た横山大観が「除名だ!」と激怒したそうだが、アンバランスな構図といい美化をせず敢えてリアルに描かれたモデルの姿といい、大観の怒りも判らないでもない。マネの「オランピア」や「草上の昼食」を見た批評家が怒ったのと同じことかもしれない。
第二室に展示された「北野天神縁起絵巻」の模写も凄かった。歴史画家松本楓湖の画塾に通っていた頃(10代後半)の模写で、細密な筆といい構成への意志といい、すでに御舟のエッセンスが凝縮されて現れているようにも思われた。
2時から学芸員さんのレクチャーを聴き、終了後、レクチャー室の外で質問の順番を待っていたら、ちょうど京王線沿線にある某美術館の館長Mさんが通りかかったので、少し立ち話。Y画伯や先頃亡くなった某画廊オーナー氏とその遺族などに話が及ぶ。「やはりあれは詐欺師だった」と見方が一致した。
その間に質問者も減り、順番が回ってきた。
「展示されていた女二図は、落款印は押されているのに署名がないのは何故ですか?」「再興院展への出品作で、出品のときからあの状態なんです。御舟は、作品の売却などの、手許を放れるときに署名を入れていたようです」
「肌の色が一部で黒ずんでいるのはなぜですか?」「あれはチタンの入った白い顔料を試しに使ったらしいんです。後で変色してきたのです。平野晴景の雲もおなじように黒くなってしまったのですよ」
「所蔵家の□□□□はどういう組織なのですか?」「名古屋近くの個人コレクターの方で、今回20点ほどお借りしましたが、もっとお持ちのようです。御舟のアトリエの移築まで考えておられるようで、頭が下がります。移築後はそんなに簡単にお借りできなくなるでしょう。それに立地上、観覧にも制限が出てくるようです」とのこと。
再び会場に入り、一回り。ショップで図録と(珍しく)絵葉書を買い込んだ。個人的には「丘の並木」という小品(夕暮れが近づき緑色に変わり始めた空を背景にに木々の小枝が細密に描かれた作品)に惹かれていたが、残念ながらこの作品は絵葉書にされていないようだった。
4時を過ぎに美術館を出た。すでに風が冷たくなり始めていた。鰻以外は大満足の一日。