茶飲み友達

selavy2008-11-16

11月13日(木)、午前中に外出。まず白金の畠山記念館で「数奇者 益田鈍翁 心づくしの茶人」展を見る。今年はこの大財界人(三井物産日本経済新聞社創立者)にして大茶人であった鈍翁の生誕160年、かつ没後70年にあたるそうで、これを記念する展覧会。
李朝の茶碗 銘「毘沙門堂」、本阿弥光悦の能面「山姥」、伝宗達の「扇面草花図」、豊臣秀吉の消息など、この記念館が所蔵する鈍翁の旧蔵品や鈍翁自身の書画を中心に展示するもの。館の創立者畠山即翁は鈍翁より34歳年下だが、茶を通じた交友があり、即翁は鈍翁から多くを学んだという。
この館の前身だった茶室「般若苑」に鈍翁を招いて茶会を催すこともあった。(確か茶室の竣工後、最初に開いた茶会に招いたのが鈍翁で、「般若苑」という名前も、その際に鈍翁が命名したものと解説されていたと思う。)両者が交わした書簡なども展示されており、鈍翁に対する即翁のひとかたならぬ敬愛の念は、展示からも伝わってきた。
展示品を拝見した後、雰囲気の良い庭を散策した。といっても元の般若苑の跡地の過半(即翁の私邸の部分)は、記念館とは別組織になったので、広くはない。(私邸の部分は長い間料亭として使われてきたが、最近取り壊されて更地となったので、いずれはマンションか何かの鉄筋コンクリートの建物が建設されるのだろう。この風雅の地の恵まれた環境も風前の灯かもしれない。)

品川駅まで歩き、ガード下のラーメン店街(有名店が7店集まっており、どこも行列ができていた)の中の一店で昼食にした後、東京駅経由で日本橋に出て、三井記念美術館の「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」展を見る。
如春庵は愛知県一宮の素封家の子息で、16歳の時に本阿弥光悦の黒楽茶碗 銘「時雨」(上図)を、また、19歳にして同じく光悦の赤楽茶碗 銘「乙御前」を所持したというほどの、天性の審美眼を備えていたという。祖父から買い与えられたものとはいえ、最初に手に入れたのが「時雨」である以上、その後の選択が悪かろうはずはない。その後も茶碗、茶道具、軸物などの名品を集めていったそうだ。
今回の展示は、名古屋市博物館に寄贈されたものを中心に、そうした如春庵の蒐集品の数々を紹介するもの。同館からの巡回で、展示点数は少なくなっているそうだが、焼き物ばかりか、如春庵が発掘したという「紫式部日記絵詞」、東山御物の伝任月山筆「稲之図」などが展示されていた。(佐竹本「三十六歌仙絵巻」は、残念ながらすでに展示期間が終っていた。益田鈍翁による絵巻の切断の際に立会い、40名余りによる籤引きで「一番」を引き当て、「柿本人麻呂」を所持する幸運に恵まれたという。)
収集以上に重要なのは、如春庵が『志野、黄瀬戸、織部』(私家版)を出版したことかもしれない。この豪華図録は今日でも参照されており、要するにこの分野のスタンダードを打ち立てたということに他ならないだろう。
如春庵は、益田鈍翁より39歳年下だったが、やはり厚い親交があったようで、鈍翁が自ら手がけた書画、茶碗、茶杓や茶会の記録や書簡なども展示されていた。如春庵は財界人ではなく全くの数奇者で、二人の交友は純粋に茶と古美術を通じたものだったので、子供のような無邪気さが感じられるようだ。

即翁にしろ如春庵にしろ、鈍翁とはずいぶん歳が離れていたが、実業界を引退した後の鈍翁は、こうした茶道や古美術品の蒐集という趣味を同じくする若者との交際・往来に、さぞ楽しみを感じていたことだろう。二つの展覧会を通じて、そのような近代茶人たちの交流の暖かさが感じられたのが、何よりもよかった。

1階のフルーツ専門店でマンゴー・シェイクを頂いた後、茅場町まで歩き、森岡書店に行く。若い女性デザイナーで版画家の鎌田光代さんのリトグラフ展「いろいろかたち」を見る。家や動物の形を幾何学的な形と色の組み合わせで構成する作品で、温かみとユーモアがあり、楽しめた。
歩き続けて疲れたので、神保町には寄らず、そのまま東京駅からJRで帰宅。