タイム・クレヴァス

selavy2008-11-26

11月23日(日)、竹橋の近代美術館で開催された美術評論家連盟主催のシンポジウム(パネル・ディスカッション)「批評を批評する」を聴講。パネリストは針生一郎柄谷行人岡崎乾二郎の3人。司会は松濤美術館の光田由里学芸員。チラシに用いられた瀧口修造の青いデカルコマニーの図柄も、たぶん光田さんの選択だろう。


11月24日(月)、富山から出掛けてきた知り合い二人と落ち合って、横浜トリエンナーレを見る。馬車道のレストランで昼食にしている間に、あいにくの雨模様となってしまったが、何ヶ所かに分かれた会場はどこも若い人でいっぱいだった。会期末が近づいてきたこともあるのだろう。
メイン会場の新港ピアには、あまり見るべき展示はなかったように思う(ダダの研究で高名なW大学のT先生とパッタリ出会い、ご挨拶した)。一回りして赤レンガ倉庫に移動する。ちょうど大桟橋には、日本最大の客船「飛鳥2」(上図)が停泊していた。赤レンガ倉庫では、知り合い二人はミランダ・ジュライの廊下を通りながら言葉を読む作品に期待していたらしいが、長蛇の列ができており、「1時間待ち」と言われて諦めた。
私は「肉体の叛乱」「タージマハル・トラヴェラーズ」「バス観光ハプニング」の3つの貴重な映像に関心があったが、これらをすべて見ていると時間がなくなるので、早々に切り上げて(時間が取れれば再訪したい)、次の日本郵船の会場へ。
1階では勅使河原三郎の前ではまたしても行列。「30分待ちです」とのこと。諦めて列の脇を通って奥のブースに入る。するとそこはヘルマン・ニッチュのグロテスクな生贄儀式の映像とインスタレーションだった。確か以前、木場の現代美術館で見た記憶がある。まるでゴルゴタの丘の惨劇に立ち会い、自らも手を下しているかのように嗜虐的な(ブースの番号まで13番だ!)、しかしそれと同時に自らが生贄と化して陵辱されているかのように被虐的な、相反する複雑な感覚を呼び起こされる。トリエンナーレ全体の「タイム・クレヴァス」というテーマには相応しいかもしれないが、体質的に合わないので、すぐに出ることにする。
2F・3Fに上がると、ここでも映像が中心で、食傷気味になる。マシュー・バーニーの前でも行列が出来ており、前を素通りする。オノ・ヨーコのカッティング・イヴェントのビデオを少し見る。結局この会場では小杉武久中西夏之の日本人作家の質の高い展示に救われた(どちらも会場の設営が今ひとつなので、もったいない感じだった)。
ここでちょうど田中泯のパフォーマンスが始まる時間となったが、場所も雨天決行なのかもわからなかったので諦め、三渓園まで行き内藤礼中谷芙二子の作品を見ることにする。表通りでタクシーを拾い、20分ほどで到着。小雨模様で吐く息が白くなるくらいの寒さの中を、池の向こう側まで10分ほど歩いて、ようやく展示されている一角に辿り着いた。
内藤礼の作品は、薄暗い茶室の天井から一本の細い絹糸を下げ、その糸を躙口や窓から入ってくる微風と畳の上の電熱器による上昇気流によって動かすというもの。音のない静謐な室内で、糸だけがまるで生命を有しているかのように微妙な動きを見せる。その繊細さ、簡素さは、茶室の空間に相応しい。
中谷芙二子の作品は、茶室に程近い渓流に霧を間歇的に発生させ、その霧に対して原色の照明を当てるもの(照明は霧の動きに反応して変化するようになっている)。青色や赤色の照明を反射させながら、渓流の上流から木立の中を霧が渡っていくさまは、息を呑むほど美しい。この美しい日本庭園・日本家屋での二人の作家の展示には、雨も寒さも逆に合っていたようだ。夕暮れ時に来たのも大正解だった。
駆け足でじっくり拝見できなかったが、全体を通じて、特に海外作家の展示の質はあまり高くないように感じた。タクシーで知り合い二人を根岸駅に案内し、そのままJRで帰宅。