夢の漂流物展8

3日の日曜日、富山県立近代美術館で開催されていた「瀧口修造 夢の漂流物」展の見納めに行ってきた。

羽田で、世田谷美術館のSさん、慶應義塾大学のAさんと鉢合わせ、同じ飛行機だと判明した。富山に着いた後、マイミクのかのさんとも無事合流でき、まずは市内大塚の龍江寺のお墓にお参りした。

(かのさんとは初対面だったが、予想通りチャーミングでキュートな方だったので、すぐわかった。夜行バスで朝、金沢に着き、金沢21世紀美術館に寄ってから富山まで来たそうだ。たいした行動力だ。)

展覧会は、最終日ということもあったのだろうが、なかなかの入りで、若い人も歳とった人も熱心に見ている。県の関係者の来訪も多いようで、学芸員さんや館長さんまで応対に追われていた。松濤美術館のMさんの姿もお見かけした。早めの飛行機で来られ、この後、金沢に廻ってから日帰りする日程だそうで、やはり有能な人は、計画性、勤勉さが違うものだ。

館内を巡っているうち、その昔、読売新聞や草月で活躍され、瀧口修造とも関係が深かった方(もう10年ほど前に亡くなられたのだが)のご子息に紹介していただいた。前から気になっていたので、ご挨拶できたのは有難かった。すでに世田谷でご覧になっているのだが、やはり富山の展示も気になるので、東京から車で来られたそうだ。

その方ご自身も、家が近所だったこともあり、瀧口さんにとても可愛がられたそうだ。幼い頃に自分が描いた絵をプレゼントしたら、瀧口さんはその絵を書斎の壁に掛けていた由。その絵が写っている書斎の写真が今回展示されており、「ほら、この絵ですよ」と教えてくださった。内外の有名無名の画家の絵だけでなく、子供の絵まで別け隔てなく扱うところが、いかにも瀧口修造らしくて微笑ましい。

(そのまま残っていれば、今ごろその絵は、他の作品やオブジェと同じように、この美術館に所蔵され、今回も展示されたはずなのだが、瀧口さんが亡くなった後に未亡人が、おそらく形見分けのつもりで、返してくださったため、今はご本人の手許にあるそうだ。)

その方を囲んで、こんな話をあれこれうかがっているうち、閉館の時間になってしまった。警備や案内のスタッフも片付けをはじめたので、我々も会場の外に出た。入り口の外側から閉じたガラスの扉越しに、照明の落とされた会場の内部を見るのは、少し寂しかった。

飛行機の時間も迫っていたので、後の事務が残っているSさん、Aさんや、かのさんともここでお別れすることにし、降り始めた雨の中をタクシーで空港に向った。

この展覧会には、富山だけでも3回来たし、世田谷美術館をあわせると、合計10回は通ったと思う。充実した展覧会だった。こうした展覧会を企画し開催までに漕ぎ付けてくれた関係各位に、改めて御礼申し上げたい。