大手町・竹橋・表参道

暑かったが、午後から外出。品川の手前で雷鳴が轟き、稲妻が落ちているのが目に入る。雨も降り始めた。しばらくOAZOで雨宿りした後、三の丸尚蔵館へ。若冲動植綵絵」第4期を観る。「旭日鳳凰図」が圧倒的だった。スワーンベリをはるかに先取りしている。もっとも、基底にあるのはエロティシズムと仏教的世界観とで、かなり異なってはいるのだが…。抱一「花鳥十二ヶ月図」も展示されていた。若冲では生きる喜びに溢れている動物や昆虫や植物たちが、(こちらの先入観のためだろうが)抱一ではひたすら哀しみに堪える存在になっているように見えて、粛然とさせられた。

大手門から出て、竹橋の近代美術館へ行き、吉原治郎展を観る。初期の静物画(といっても窓辺の光景なので風景画でもあるのだが)から、30・40年代の形而上絵画や抽象画と、きわめて先鋭な画面を開拓したこの画家でも、戦争期には具象画を描かざるを得なかったことは、社会的現実が画家にとっていかに制約となるものかを物語るものだろう。一時帰国したフジタから「人のマネをするな」と言われて苦闘をはじめたそうだが、むしろそれ以降の画面の方が内外の作家との関連性が窺えるように思えた。不思議なことだ。

常設では古賀春江特集をやっていた。水彩画を見ることができたのは有難い。
写真では実験工房の人たちが手がけた「APN」(アサヒ・ピクチャー・ニュース)の表紙シリーズ20点が展示されていた。これは以前、ある画廊で見せてもらったことがある。
現代絵画では「持続/切断」と題して毛利武士郎・村岡三郎・草間弥生河原温の50年代の作品と近作とが、並べて展示されていた。

神保町に回り、T書店へ。小一時間おしゃべりする。「画家の沈黙の部分」のきれいな初版があったが、すでに持っているので見送り。源喜堂に回り、ある展覧会の図録を探したが、見つからず。

そこから表参道のギャラリー360°に行き、小杉武久のパフォーマンスを聴く(マイミクさんが2人ほどいらっしゃるかと思ったが、姿が分からなかった)。あれほど時代の最先端だったはずのミュージック・コンクレートや電子音楽が、今では50・60年代の音として聞こえてしまうのに対して、この人の音は斬新であり続け、いつもその時その時の音として立ち現れて来るのは、いったい何故だろう。

NADIFFでバーゲンを漁った後、横浜まで戻り、馬車道のライブハウスで「渋さ知らズ」を聴こうかと思っていたが、さすがに疲れたので、そのまま帰宅した。