上野・上野・浜松町

昼前に外出。東博の「中国書画精華」展を観る。東洋館第8室の入り口にたどり着いて右を観ると、そこに李迪筆「紅白芙蓉図」が掛けられていた。花弁の色が鮮やかなのに対し、葉は少し褪色しているようだが、そういうところも含め、このうえなく高貴に見える。続けて「十六羅漢図」「寒江独釣図」、さらに暁牕賛「祖師図」も見る。これは達者な筆だ。着物の裾が風になびく様は、曽我蕭白を想起させる。圧巻だったのは李氏筆「瀟湘臥遊図巻」。この雄大かつ細密な筆を、ガラスケース越しとはいえ、僅か20cmほどの間近に観ることができて、興奮してしまった。
 

東洋館に続いて本館の常設展「日本美術の流れ」を観る。国宝コーナーの「一遍上人伝絵巻」もよかったが、やはりお目当ては酒井抱一「夏秋草図屏風」。元は光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描かれていたもの。東博の解説によれば、近年発見された抱一の書付によって、「表の金地に対して裏を銀地とし、雷神の裏に夕立に打たれて頭をたれる夏草を、風神の裏に野分の風に吹きあおられる秋草を対応させたことなどは、すべて抱一自身の構想であったことが確認された」そうだ。まあ、そんなことは抜きにして、夕立に耐える白百合の花や野分に煽られる蔦の葉が、背景の銀箔(何と奥行きの深いことか!)に浮き上がる様は、いつまでも見ていても見飽きない。9日から出光美術館で開催される、「風神雷神図」の企画展示も楽しみだ。

その足で都美館に回り、第91回院展を観る。会場に入るなり、重苦しい気分にとらわれてしまった。去年の10月末、日本橋三越で「再興院展90回の歩み」を観た時も、戦前の大家の出品作を集めた前半までは、見応えがあって快かったのだが(特に奥村土牛「蓮図」は素晴らしく、<絵具が喜んでいる>という感じがしたのを覚えているが)、戦後作家が展示された後半は、異様な感じがして辛かった。あの後半の印象そのままだった。今の「日本画」の造形や「日本画」をめぐる制度の、閉鎖的・硬直的な状況を実際に確認することができたのだから、訪れた意味はあったのだと言い聞かせながら、足早に会場を後にする。先日、銀座で拝見した若手作家6人展「草いきれ」のことを、ふと想い出した。無所属だから制度的には厳しい立場だろうが、あの人たちの方が、造形的にははるかに可能性があるような気がした。

JRで浜松町まで戻り、横田茂ギャラリーの「Printed Matters 2006 Artists' Book」(東京パブリッシングハウス主催)を観る。デュシャン、コーネル、フォンターナ、ムナーリ、イヴ・クライン、ボルタンスキー、フルクサス関係などなど、内外の作家の250点ほどの展示。私の知り合いでもあるパリの某書店の協力も得たそうだが、これだけ点数が多いと、出品目録自体が貴重な資料といえるだろう。希望すればケースから出してくれ、手にとって見ることができるのも、美術館ではなくギャラリーの展示ならではだ。瀧口修造の「黒い本」「UN LIVRE BLANC PLUS OU MOINS」なども特別に展示されていた。村山知義・籌子の「きりぎりすのかひもの」「童話集川へおちた玉ねぎさん」は、おそらく日本の絵本の流れを語る上で、欠かすことはできないだろう。来客に追われて横田さんもスタッフの方々も忙しそうだったが、その合間をみて、この夏に観た展覧会のことやダイエットのことなどをお話しする。

今日も夕映えの空を見ながら帰宅したが、先週の土曜日の方が美しかったと思う。