有楽町・横浜・六本木

10月某日、有楽町の出光美術館で「仙崖・センガイ・sengai ― 禅画にあそぶ ―」展を観る。仙崖の書画は、この美術館の創設者が最も愛した美術品で、その最初と最後の収集品も仙崖だったそうだ。総数は1000点以上に及び、この美術館の膨大な蒐集の中でも中核をなしている。仙崖の遺した書画の過半(そしておそらく流通過程に出現した作品の大半)はこの美術館が購入したことになるわけで、少なくともこの美術館のコレクションが仙崖の評価にとって決定的だったのは間違いないだろう。コレクションの理想の姿といえるかもしれない。画法を意図的に崩して描かれた線は、個性的ともいえるが、ピカソマチスか、あるいはスタインバーグのような自在さに達しており、巧みだといったほうが適切と思われる。言葉と図の組み合わせも実に示唆に富んでいた。
幸福な気持ちで美術館を後にし、駅前の大型家電量販店でしばらく時間調整。その後、歩いて銀座まで行き、知り合いの某画廊のオーナーと待ち合わせてビールを飲む。話題は仙崖のことから、永徳、シュルレアリスム瀧口修造のこと、さらには別の画廊主の異常な言動などに及んだ。話が盛り上がり、バーを2軒ハシゴして夜遅く帰宅。

10月某日、横浜美術館の「シュルレアリスムと美術」展の記念講演会「イメージが私たちを見つめる―『2.5次元』のシュルレアリスム」を聴きに行く(講演者は早稲田大学の鈴木雅雄教授)。彫刻とオブジェの違いから説き起こされ、シュルレアリスムの根本を抉り出してその美術における現れ方を包含する、きわめて射程の広い論理展開で、感銘を受ける。講演後、鈴木教授を囲み、他の研究者・学生・学芸員たちとランドマークタワーの喫茶店でしばらく話す。瀧口修造に関心を持っているという大学院生も来ていて、なかなか楽しいひと時だった。

10月某日、六本木の国立新美術館に「安斎重男の私・写・録 1970−2006」を観に行く。当然のことながら、会場に入るとまず1979年のコーナーに行き、瀧口修造の写真を観た。亡くなった直後に南天子画廊で開催された「瀧口修造 絵とメッセージ」展の会場写真も展示されていた。綾子夫人を写した写真もあり、その中で綾子夫人の左側に写っている作品が特に気になった。たぶん瀧口修造のフィンガー・プリントだと思うのだが・・・。その後、展示の冒頭に戻り、1970年の「人間と物質」展の写真から年代順に見る。戦後美術の貴重なドキュメンタリーであるばかりでなく、この写真家と美術家たちとの濃密な交流が刻印されており、全体を通じて圧倒的だった。
この日が最終日で、ちょうど安斎さんが会場にいらっしゃった。ひっきりなしに観客から話しかけられておられたが、その合間を狙ってご挨拶し、1978年のマルセル・デュシャン展の場に私も居合わせたことや、瀧口修造が座っている椅子にその直前まで私が座っていたことをお話しすると、少し驚かれ、あの展覧会のときのことを懐かしそうに話してくださった。東野芳明氏の写真を集めたコーナーに案内してくださり、「ここにも瀧口さんが写っている。この写真もあのデュシャン展のときの写真だ」とおっしゃった。当事の関係者が皆今回の展示を観に来たそうで、その近況も教えてくださった。亡くなった松澤宥さんのことも話すと、「あのプサイの部屋を撮影しておいて良かったよ」とおっしゃった。カタログにサインをお願いすると快く頷かれ、丁寧に献辞まで入れてくださった。