Variations in Serenity

selavy2008-05-25

今回の展覧会、まずタイトルが「岡鹿之助展」のみで、サブタイトルなしというのが、潔くて良い。もっとも英文では“Variations in Serenity”となっているのだが。「静謐な変奏」か。これなら展示に相応しいかもしれない。
実は、生れて初めて展覧会に行き、感動したのは、岡鹿之助展だったと思う。あれは東急百貨店本店の開店記念の個展か何かではなかったか。三色スミレの絵を見て、実物ではない作り物なのに、実物以上に美しいことに驚いたものだ。信頼している友人によれば、今回の展覧会も「良かった」とのことで、これは落せない。
意外なことに、展示は年代順ではなく、「海」「掘割」「献花」「雪」「燈台」「発電所」「群落と廃墟」「城館と礼拝堂」「融合」という9つのテーマ別となっていた。その友人の話では「いつ描いたのか、年代を見分けられない」というので、何とか判別してみようと意気込んでいたのだが、実際、初期の1920年代から晩年の60〜70年代まで、区別がつかなかった。
画題の変遷や拡大は別にすれば、20年代の作品は明暗のコントラストが強く(この時期には点描法が主体となる直前の、ストローク描法が勝った作品も若干あるようだ)、40〜50年代には画面の中の光線が夕映えのように黄色味を帯び、60〜70年代には色彩がさらに純粋になり透明感が増す、というような大まかな傾向は認められるようだが、これも相互に比べてみた上での話で、こういう傾向から外れる作品も多い。まして1点だけ見せられたら、年代を判別するのは、まず不可能だろう。
つまり、岡鹿之助という画家は、すでに20代の時から、アンリ・ルソーのような不思議な遠近感を伴う構図の中に、あたかも夢の中の光景ように理想的・抽象的に、点描によって現実の事物の(色彩ではなく)形態を描く画法を確立しており、その画法は、精密機械のように、生涯変わることがなかったということだ。ワンパターンといえばワンパターンだが、惰性で描いたとか、マンネリとかいうのとはまったく異なる。
フラ・アンジェリコやジョットー、スーラ、アンリ・ルソーなどを研究した上で開拓したこの自己の画法に、よほどの確信がないと、またその画法がよほどの高みにないと、こういうことは不可能だろう。(理想化された光景を描くのは山水画にも通じるはずで、その方面もたぶん研究していたはずだ。)描かれた画面の親しみやすさから、芸術性が低く通俗的だと見られているとすれば、残念なことだ。
同年生れの佐伯祐三は、ヴラマンクの「アカデミック!」という一言に決定的に影響された後、自らの画面を感覚的・肉体作業的に模索・追求していたように思える。岡とはまったく対照的なアプローチと言えるだろう。この対照、この差は、一体どこから生じるのだろう。後者のようなタイプには夭折の画家も多く、その悲劇的な生涯の魅力からも、人気が高いようだが、前者のようなタイプの方が「芸術家」に相応しいような気がする。

JRで新宿まで行き、元の組織の兄貴分と合流して、損保ジャパン東郷青児美術館ヴラマンク展を観る。ヴラマンクといえば、やはり厚塗りの、雪景色や海岸を描いた風景画だ。どういう天気にしろ、空だけは常に嵐の前の不気味さを湛えている。
主にゴーギャンから影響を受けた、初期のフォーヴィズムの絵から、自らの画風に至るまで、その画面はゴッホ風、セザンヌ風と、傾向が変わることもわかり、改めて直前に見た岡鹿之助の凄さも認識させられた。最後のコーナーに展示されている東郷青児の絵も、いつになく愛らしく見えた。
この美術館が誇るゴッホの「ひまわり」には、当初から「贋作ではないか」との噂があり、画商のJさんも贋作説を採られていた。といっても、細野不二彦の「ギャラリーフェイク」を愛読していたJさんのことだから、贋作説自体を面白がっておられたのかもしれない。Jさんは健康を害され、第一線を退かれたので、年賀状をやりとりする程度になってしまったが、いつかまたお目にかかってお話ししたいものだ。

新宿駅地下のゴディバ・ショップのアイスクリームを横目で見つつ、JRで原宿駅まで行き、太田記念美術館で「蜀山人大田南畝―大江戸マルチ文化人交遊録」を見る。大田南畝は最下級の役人として70歳を過ぎるまで勤務を続ける一方、狂歌師として一世を風靡し、さらに浮世絵研究の基本中の基本文献とされる「浮世絵類考」まで著した大文化人で、その交友の広さは当代随一だったらしい。
この交友をテーマとする展示だけに、その接点の広さ、角度の多彩さにただただ感心するばかり。南畝の肖像画、南畝が画賛を入れた軸、文献、南畝をめぐる文人、南畝と浮世絵なども、展示品もかなり幅広く高度な内容で、この分野に予備知識がないとなかなかついていけない。ただ、同行した兄貴分は歴史に並々ならぬ知識と関心を持っており、実は堅気になってから一念発起して「京都検定1級」まで取得したインテリでもあるので、狂歌の元歌などを詳しく解説してくれた。
この美術館では、地下の展示室まで使われるのは珍しいことと思うが、さらに来月には展示替えがあり、3分の2は入れ替わるとの話。もう少し勉強してから再び訪れることにしよう。

そのまま渋谷のNHK放送センターまで歩き、「セッション2008」の公開録音を聴く。出演は辛島文雄トリオ。前にも何度か聴いたことがある。
今回は中間にピアノソロを挟んだ形だった。滋賀県のホールにある珍しいピアノを用いて録音したというスタンダード・ナンバーのアルバム「ムーンリバー」から何曲か演奏された。アンコールには「枯葉」と「A列車で行こう」。2曲も演奏されたのは初めてで、得をした気分。元の新宿のシマで組織の資金集めよりライブハウス通いに励んでいたジャズ好きの兄貴分も、喜んでくれたようだ。7月後半のオン・エアーを楽しみに待ちたい。
渋谷駅まで歩き、東横線で帰宅。長い一日だった。