あの色 あの音 あの光

selavy2008-07-02

7月1日(火)。早めに昼食を済ませて外出、鎌倉に行く。まず近代美術館の「あの色 / あの音 / あの光」展へ。美術間のホームページで関根正二の「少年」が展示されていると知り、訪れる気になったのだが、会場に入るといきなり展示されていた。いつ見ても心を打たれる作品だ(写真)。作品の脇にはこの時期に関根の書簡(ある女性宛の)の一節が引用されていた。愛をめぐるその言葉は、作品に劣らず美しかった。
お目当ての作品を最初に見てしまうと緊張感が続かず、後の作品を流して見る感じになってしまう(まさに「足りないもの=集中力」だ)。村井正誠「天使とトピア」、熊谷守一「キンケイ鳥」、田淵安一「インディアン・サマー」、浜田知明「いらいら」、青木野枝「亀池 蓮池」など、よい作品がならんでいるのに、困ったものだ。

壁面のあちこちには、地元の小学生がワークショップで撮影した風景写真(?)も展示されていた。正方形の小さめのパネルだったが、どれも対象の選定やトリミングが巧くて(巧すぎて)舌を巻いてしまった。

第二室の吉村弘の音の作品「ミ/ズ/ナ/リ」や「サウンド・チューブ」は造形と音が組み合わされた作品。観客も関与して体験することができ楽しかった(参加なのか鑑賞なのか、その境界の微妙さも良い)。この美術館の委嘱作品「Four Postcards」の4曲は、それぞれ鎌倉館と葉山館の開館・閉館の際に流されているそうだが、ヘッドホンで聞くと、頭の中に海と池の朝と夕方の光景が浮かぶようだ。展示された4枚の図形楽譜のどれがどの曲かも、聴いているうちに判かってくる。この曲はCDにもなっているので、家で聞くと心が落ち着くだろう(吉村弘さんは、お元気に活躍されているとばかり思っていたが、数年前に亡くなられていたようだ。残念なことだ)。
1階の彫刻室の中庭に面した窓際には、分厚いガラス板を割って重ねた宮脇愛子の直方体状の立体「メグ」が置かれていた。降り注ぐ外光によって切り口が緑色に輝き、たいそう美しい。周囲を回り角度を変えて立体を覗き込み、光の変化を実感した。

その足で別館に行き、ドランの「パンタグリュエル」や、19年度の新収蔵作品を見る。柄沢斎などの小口木版画の精密さも再確認した。

鶴岡八幡宮の境内を横切って鎌倉国宝館まで歩き、特別展「鎌倉の羅漢図」を見る。中国の元朝から請来した円覚寺蔵「五百羅漢図」や、それを参照しながら描かれた建長寺蔵「十六羅漢図」などを堪能した。
中でも建長寺蔵「渡水羅漢図」は素晴らしかった。羅漢さんたちが競い合うようにその法力を発揮して、水面を渡っている場面を描いたものだが、龍や象、馬、羊、さらには烏賊、蝦蟇などを自由自在に乗りこなす様は、まるで水上スクーターで遊んでいるような趣。対照的に操られている動物たちの表情は苦虫を噛み潰したようで、それもまたユーモラスだ。重要文化財に指定されていないのが不思議だ。

観光地化した小町通りを歩くのは好きになれないが、古本屋さんがあるので仕方がない。M堂とG荘の2軒を覗き、早くも2冊買ってしまう。さらに御成を通って長谷観音方面への道を右に曲がり、もう一軒の古本屋さん、K堂に入る。展覧会図録に買いたいものが2冊あったが、前より値段が高めの設定になっているようなので見送り。文庫・新書・単行本などに気になる本がいっぱいあったが、拾いはじめると時間がなくなってしまうので、切り上げる。
そういえばこの店は、以前、美術書の棚の前で変な外人と出会ったことがある。何となく同じ傾向の本や雑誌に手が向かうので、思い切って(拙い英語で)「日本美術に関心があるのですか?」と話しかけると、「いや、僕はフルクサスの研究者です」という。何と彼はフルクサスの研究の第一人者ヘンドリックス氏で(大部のカタログ“Fluxus Codex”の編著者)、ワタリウム美術館で開催されていたフルクサス展のために来日されたのだった。「あのフルクサス展なら、先日観たばかりですよ」といって、財布に入れてあった入場券の半券を見せると、ヘンドリックス氏もビックリしていた。鎌倉が好きで来日する度に訪れているそうだ。これとは別の数年前の秋には、近くの某所でボクシングを観戦した後、知り合いをこの店にお連れしたこともある。私自身が訪れたのは、あれ以来はじめてかもしれない。(続く)