駒場から神保町へ

selavy2008-07-05

7月4日(金)。早めに昼食にした後、外出。駒場日本近代文学館で「女流文学者の手紙」展を見る。第一部「書くことの悩みとよろこび」、第二部「生きることのつらさ」、第三部「友情と励ましのなかで」の三部構成。
展示されている手紙は、女流同士の手紙もあれば(師匠格などの)男性文学者宛もある。内容が簡潔に解説されており、書かれた時の事情がよくわかる。手紙という具体的な資料で近代文学史を辿ることができるわけだ。
料紙(便箋)といい筆跡といい、細部まで心が配られており(経済的に苦しければ苦しいなりに)、どの手紙もたいへん美しかった(こうした書簡の文化はすでに失われたのだろう。私自身もわざわざ7月1日に富山から送られてきた素晴らしい雑誌のお礼状も出していない始末だ)。初版本や各種の婦人雑誌も展示されており、特に雑誌をこれだけまとめて見る機会はめったにないので、ありがたかった。
パネルには各文学者の生涯と肖像写真・集合写真も掲示されており、みな気品があって美しい人ばかり。特に晩年の佐多稲子宮本百合子がきりりとした和服姿で(紬だろうか?)椅子に腰掛け、顔を見合わせて笑っている写真が印象的。思わず「最後に笑うことができてよかったなあ」という感慨と共感を覚えてしまう。

松濤まで歩き、ギャラリーTOMで「旅の仲間―澁澤龍彦堀内誠一による航空書簡より」展を見る(写真)。澁澤龍彦堀内誠一の交流がこれほど濃密だったとは、不勉強ながら知らなかった。その仕事の内容からしても、「反時代的な異端者」と「時流を作り出した寵児」というような、正反対のイメージを持っていたが、皮相な先入観だったようだ。
性文学者たちの書簡を読んだ後で二人の往復書簡を眺めると、平和で豊かな時代を過ごせて幸福だったろうという感想を抱いてしまうが(もちろんこの二人にも駆け出しの頃には苦労があったのだが)、二人とも同じ病気でほぼ同時期に、しかもまだ50代の若さで亡くなっているのだ(特に澁澤はもっと歳をとっていたように思っていた)。見てきたばかりの佐多・宮本の笑顔を思い浮かべ、改めて、命と病だけはどうしようもないということを思い知らされた。運命とはこういうものなのだろう。

渋谷から地下鉄を乗り継いで江戸川橋の印刷美術館に行き、「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」展を見る。この時期のデザインの状況が、具体的な印刷物の数々によって再現されており、大変参考になった。古書店でよく見かける(あるいは手元にある)この時期の本の装丁も、それぞれ個性を持っていると、遅ればせながら気づき、デザイナーの存在とその仕事に関する認識の低さを痛感した。

飯田橋駅に歩く途中で古書店Aに寄る。訪れたのは1年ぶりくらいか。店主に挨拶し、最近の美術洋書の価格や売却・処分の進め方などについて伺う。さらにはコレクターの大先達Kさんやマン・レイ・イスト氏などのことに話が及んだ。

JRでお茶の水駅に行き、古書会館で七夕の大市の下見をする。4階から2階へと順に降りていったが、何度会場を回っても、最後は3階の中央付近のケースへと足が向かってしまう。先立つものがあればいくらでも参戦するのだが・・・。ちょうど隣のケースの前に、絵葉書に関する第一人者Y先生がいらっしゃったので、ご挨拶する。

会館を出て某T書店に行き、常連のAさんにも加わっていただき、作戦会議。今後を展望し、当面の課題を抽出した上で、今回の方針を立てる(?)。
この後さらに、今日から始まった彦坂尚嘉個展を見るために、月島の某所に回る予定だったが、時間がなくなってしまった。スタッフのSさんに電話を入れてお詫びし、日を改める旨、伝えた。