僕たちの自画像

selavy2008-12-21

12月13日(土)、知り合いに誘われて横浜美術館の「セザンヌ主義」展を再訪。今回はそれほど混んでおらず、じっくり見ることができた。セザンヌのアトリエを改装した記念館についてのビデオも興味深く拝見した。
MM21のとんかつチェーン店で昼食にした後、30分ほど歩いて開港記念館まで行く。地元横浜に住んでいながら、建物の内部に入るのは初めてだ。ボランティアの人が説明してくれた。ホールや貴賓室は重厚かつ実に優雅だ。現在も公会堂や貸会議室として利用できるようなので、何かの機会に是非利用してみたい。
中のコーヒースタンドで一服(スタッフのおばさんが、常連客とおしゃべりしていて、あまり感じがよくなかった。肝心のコーヒーも、朝淹れたのをホーロー引きのポットで暖め返したもので、味も香りもなかった。)。
馬車道まで戻り、そこから伊勢佐木町商店街にかけて、古本屋を何軒かハシゴ。プラトンの解説書などを購入。その後、JRで新杉田駅に行き、線路脇のラーメン屋で早めの夕食にする。豚骨醤油味の元祖の直系の店らしく、濃厚だがさっぱりした不思議な味だ。
歩いて磯子駅まで戻り、近くの公会堂で蝋燭能の公演を見る。番組は狂言「棒しばり」、能「羽衣」。シテ櫻間右陣は、かすかに体を揺らすだけで天女の心理を見事に表現しており、素晴らしかった。

12月18日(木)、午後から出掛け、練馬区美術館の「石田徹也―僕たちの自画像」展を見る。美術館の建物に入り、展示室への階段を上がっていると、ロビーのソファーに有名な美術研究家Sさんが座っているのが見えた。Sさんはサラリーマンとして働きながら現代美術の資料や近代・現代美術作品を蒐集してきた方で、数年前、そのコレクション展が三鷹市美術ギャラリーで開催されたこともある。ロビーに引き返してご挨拶し、そのまましばらく近況などを話す。
石田徹也展は、やはり第一室に展示されていた「飛べなくなった人」(上図)、「燃料補給のような食事」、「社長の傘の下」など、1990年代のアイロニカルな作品がよかった。
第二室に展示された2000年頃からの作品は、画面が大きくなり、作品としてはシリアスで本格的になるが、90年代の飄々とした感じは失われ、凡庸ともいえるような印象も受ける。キリン・コンテンポラリーアート・アワードやVOCA奨励賞など、いろいろな賞を受けたのだが、それがかえって不幸だったのかもしれない。もちろん31歳の若さで(踏み切りで)亡くなったという事実の痛々しさも重なってきて、見るのが若干つらかった。改めて作家にとっての作品を制作すること、人間にとって生きることの意味について考えさせられる。
浜松町の横田茂ギャラリーに行くつもりで、練馬駅で乗り換えて都営大江戸線で大門に行くことにしたのだが、乗り換え方がわからず、勘違いして小竹向原まで行き、また練馬まで引き返すことになった(練馬駅のホームに案内表示が無いのは不親切だと思う)。結局、40分ほど時間をロスし、大門駅に着いたのは6時近くになってしまった。ギャラリーに寄るのを諦め、そのまま帰宅。