語り手たちの秋の声

selavy2008-10-17

10月某日、慶應義塾大学の三田キャンパス東館展示スペースで「語り手たちの秋の声 クレー、タピエス、トゥオンブリ」(富士ゼロックス版画コレクションによる)を見る。
クレーは「小世界」(1914年)、「フォーゲル劇場」(1918年)、「ホフマン風の情景」(1921年。右図)、「綱渡り師」(1923年)、「数を数える老人」(1929年)の5点だったが、三田という土地で開催された展示のためか、見ていて同時期の瀧口修造の姿が思い起こされてきた。
1923年というと、ちょうど瀧口修造慶応義塾に入学した頃だ。大学に幻滅して図書館に籠もり、ウィリアム・ブレイクなどを読み耽ける日々を過ごしていたが、結局、同年末にいったん退学して北海道に渡る。その後、姉の説得で25年に再入学し、英国留学から帰国したばかりの西脇順三郎の指導を受けるようになる。29年にはその西脇の『超現実主義詩論』の編集を手伝い、巻末に「ダダからシュルレアリスムへ」を寄せたり、『瀧口修造の詩的実験』の代表的なテクスト「実験室における太陽氏への公開状」を発表したりしている。
クレー以外の、トゥオンブリタピエスも、造形と言葉の境界を考えさせるもので、1960年頃から瀧口修造が始めた造形の試みとも関連があるようだ。小さな展示だったが、なかなか興味深く見ることができた。
都営三田線三田駅まで歩いていくと、途中、大通りを左に入ったすぐ右側にその名も「白十字」という喫茶店があった。西脇周辺に集まり始めていた上田敏雄、佐藤朔、瀧口たちのたまり場となっていた喫茶店も、たしか「白十字」という名前だったはずだ。今の店の入り口は、紫色のプラスチック製の自動ドアだし、少なくとも外観は(学生街よりむしろ繁華街がふさわしい)ごくありふれた店だ。文学的雰囲気はあまりないし、若き詩人たちが好んで集まる店のようには思えない。その後建て替えられたのかもしれない。
神保町に出て、某T書店に行く。いささか旧聞ながら巨人の優勝を祝い、その他、店主と四方山話。戦前の雑誌「椎の木」について少し聞いてみると、棚から日本近代文学館編『日本近代文学大事典』を出してきて、「椎の木」の項目を調べてくれた。詳細で実に参考になった(執筆者は伊藤信吉)。
この事典、全6冊で一時は6万円くらいしたそうだが、その後、他の辞典類が出たため値下がりして、今は2万円を切るくらいに値段がこなれてきたそうだ。「それでも内容は一番信頼できる」などと聞いているうち、話しの流れで買うことになってしまった。まとまった出費はかなり痛いが、これだけ中味があって1冊3千円なら、まあリーズナブルか。
(明日から名古屋、富山に旅行に出かけますので、来週まで更新はお休みします。戻ったらまたアップいたします)