愛媛の友人と「めぞん一刻」

愛媛の友人と会うため、昼過ぎから外出。一昨年の暮の、名古屋の展覧会の時以来だから、一年振りくらいか。

高知県に近い山中の町に暮らしているのに、その情報の的確さ、鋭さには頭が下がる。数日前の日記で書いた「六月の風」誌を講読しており、あの記事もリアルタイムで読んでいたそうだ。

今回も、仕事の合い間を縫って、デュシャン展とアルプ展、六本木の「世界の古書・日本の古書」展を見るという緻密なスケジュールを組み立てている。

彼と話していると、ネットや雑誌などで情報を追いつづけ、情報の波に飲まれている日頃の生活が、底の浅いものに思えてくる。情報の質は、量とはあまり関係なく、むしろ質の高い情報は強い関心のあるところに集まるものらしい。いかにして関心を持つか、いかにして問題意識を身につけるか、ということの方が先決問題なのだろう。

途中、電車の中で「めぞん一刻」の再刊の吊り広告を見た。懐かしい。確か、スピリッツ誌に連載されていたと思う。五代君と響子さんの、恋のすれ違いと行く末を、毎回ハラハラ、ドキドキしながら読んだのは、もう20年ほど前のことだ。
また読み返すと、どんな印象を受けるだろう。再読が楽しみなのだが、もう結末はわかっているのだし、何よりもあの、ときめくような感じが今でもするか、少し怖い。